2014年2月10日月曜日

ブログ書評第24回『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』

はじめまして、こんにちは。
新しくビブリオバトル信州に参加させていただきました、村上です。
今回は私がブログ書評を投稿させていただきます。


今回紹介するのは、浦坂純子『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』(ちくまプリマー新書)です。



この本は私が実家を出て一人暮らしを始める際に母が持たせてくれたのですが、今まで手をつけてきませんでした。それから2年が経ち、私の大学生活も順調にいけば折り返し地点となった今、この本の存在を思い出しました。どうして自分は大学に通っているのか、その意味を再考する良い機会にもなり、書評のネタとしても使えると思い、今回初めて手をつけてみました。

私たち大学生が卒業し就職した後、定年まで働き続けるとするのならば、就労年数はおよそ40年となり、それは私たちの人生の大半を占めることになります。一生働かずに済むような人などあまりいないでしょうから、多くの人において「生きること」と「働くこと」は不可分であると言えます。人は誰しも自分の生き方を考えるとき、「良く生きたい」と思うはずです。「自分は人よりも良い人生を送らない方が満足だ。」と言う人は、私は聞いたことがありません。よって、「良く生きること」は「良く働くこと」につながります。「良く働くこと」とはどういうことか。それは、高い賃金がもらえたり、自分のやりたいことができる環境が整っていたり、手厚い保障があることなどを意味すると思います。多くの人がそれらの条件がそろった職場で働きたいと思うでしょうから、競争となり、それに勝つ必要があります。企業はどんな人材を欲しがるか、それは「パフォーマンスの高い人間」と言えるでしょう。パフォーマンスの高い人間を見分けるかの判断に「大卒」という言葉は大きな影響を与えています。なぜ大卒という言葉がそのような価値を持っているのか、①高卒者よりも大卒者の方が平均的に仕事ができるという「統計的差別」、②大卒者の方が知識や技能が身についており、仕事で高いパフォーマンスが発揮できるという「人的資本論」、③大卒者とは、『その大学の入試を突破できる「チカラ」を持っている』という証である、という「シグナリング理論」の3つの観点から説明することができます。

まとめると、良い人生を送るためには良い仕事に就く必要があり、大学を出ていると良い仕事に就ける可能性が高くなる、ということですね。

大学で勉強する意味が全て将来良い仕事に就くためと論じるのは無理があると思いますが、なかなか説得力のある文章だと感じました。「大学は出ておきなさい」と言われ、それが将来就職に役立つものであることは、以前からなんとなく感じていましたが、ここまで文章化し整理して説明されたことはなかったので、なるほどと頷きながらページを進めていました。

最後に、この本を読んでいてどきっとした言葉を紹介します。『教育がお金と時間を浪費するだけの「消費」になっていませんか?』…私は耳が痛くなってしまいました。信州大学は先週から春期の長期休業期間に入りました。だらだら過ごしがちな長いお休み、少しでも自分の資本を蓄積(少なくとも維持…)できるような春にしたいですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿