2014年8月20日水曜日

【開催情報】ビブリオバトルin高遠

昨年初開催され好評だった長野県高遠町でのビブリオバトル、今年も開催決定です!

日時:2014年9月21日(日)午後2時から
場所:長野県高遠町「仙醸蔵」
主催・お問い合わせは、伊那市高遠町図書館まで。





この期間、高遠町では「高遠ブックフェスティバル」(9月20~23日)と「としょかんまつり」(9月20、21日)が同時に開かれていて、ビブリオバトル以外にも本に関わるイベントが多数行われます。

是非お越しください!

2014年8月19日火曜日

2014.8.10 市立飯山図書館ビブリオバトル

2014年8月10日(日)、市立飯山図書館にてビブリオバトルが開催されました!

ビブリオバトルは図書館まつりのイベントの一つとして行われ、
この他にも古本市、体験学習などが行われていました。

さて、ゲームの方は13:00から2ゲーム行われました。
ビブリオバトル信州からも3名出場したほか、学校の先生や高校生などからも発表があり、
すばらしい紹介が勢ぞろいしました!

紹介された本は、
【第1ゲーム】
①小野不由美『十二国記』
②ひすいこたろう『あした死ぬかもよ』
③夢枕獏『神々の山嶺』
④梅棹忠夫『文明の生態史観』
⑤『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』(集英社文庫版)
で、チャンプ本は『十二国記』でした!

【第2ゲーム】 テーマ:「たび」
①有川浩『三匹のおっさん ふたたび』
②山口幸三郎『探偵★日暮旅人の探し物』
③H.G. ウェルズ 『タイムマシン』
④眞鍋かをり『世界をひとりで歩いてみた』
⑤奥村隆『反コミュニケーション』
で、チャンプ本は『反コミュニケーション』でした!

終了後の歓談では、観覧者の方から「私もやってみたい」という感想をいただき、
私たちも楽しませていただきました。
次回もぜひ参加したいと思います!

ps:
「全国大学ビブリオバトル」の季節がやって来ております。
全国への最終予選にあたる「地区決戦」が、長野県で今年も開催の予定です。
11月1日(土)に信州大学にて開催予定です!!
(詳細は決まり次第お知らせします。)

2014年8月15日金曜日

ブログ書評第29回 『反コミュニケーション』

復活したブログ書評第2回目の投稿をさせていただきます、村上です。

今回私が紹介させていただくのは、奥村隆『反コミュニケーション』(弘文堂)です。



みなさんはコミュニケーションがお好きでしょうか。私はどうもコミュニケーションをとるのが苦手なのですが、嫌いとは思っていません。誰かに話しかけられればうれしいですし、興味がある話題について会話が弾めば楽しいと感じます。むしろコミュニケーションは人間が生きるうえで必要不可欠なものではないでしょうか。

そんな私はこの本を見つけ、「コミュニケーションに反してこの著者はどう生きていくのだろう」と考え手に取ってみたのですが、どうやら著者は「コミュニケーション反対!」と言っているわけではないようです。

この本において著者がとことん追求しているのが、「よいコミュニケーションとは何か」という問いです。よいコミュニケーションの一例として、「よくわかりあえる」というものを考えてみます。たしかに、スムーズに意思の伝達ができることは魅力的ですし、何よりわかってもらえないよりもわかってもらえた方が自分にとっても幸せそうです。では、お互いの考えが100%わかるようになったらどうでしょう。相手の考えていることがすべてわかっているのに、会話をする必要はあるのでしょうか。また会話をする楽しみは生まれるでしょうか。この考え方から、通じ合わないからこそコミュニケーションが楽しいと思える側面が見えてくるのではないでしょうか。

「よくわかりあえる」コミュニケーションを一例にとりましたが、私たちの想像力は「よいコミュニケーション」=「よくわかりあえる」という前提に、コミュニケーションを閉じ込めているのではないだろうか、と著者は疑問を投げかけます。つまり、この本はコミュニケーションの再考書という位置づけになっているわけです。

著者はその再考のために、過去にコミュニケーションについて論じた人物たちと対話を試みます。それは社会契約説を唱えたルソーであったり、コミュニケーションを初めて社会学の領域で扱ったジンメルであったり…計12人の話者が登場します。もちろん彼らはこの世にはもういません。この本の大きな特徴として、著者が彼らを架空訪問するという一風変わった形式をとっていることが挙げられ、読み物としても楽しむことができます。


日常生活や就職活動など様々な場面で、いまやコミュニケーションは私たちが避けては通ることのできない現象の一つです。この夏は著者の奥村さんとともに、コミュニケーションを巡る思索の旅に出かけてみるのはいかがでしょうか。

2014年8月8日金曜日

ブログ書評第28回 『大学とは何か』

こんにちは、スズキです。


ブログ書評、復活します!

今回ご紹介する本は、吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書1318、2011年)です。


この書評を書いている今日は8月8日ですが、夏の大学と言えば、前期のにぎわう姿から一変して閑散とした場所になり、新たな一面が垣間見えます。高校生にとっては、オープンキャンパスという印象が強いでしょうか?

そんな「まったり」感とは対照的に、世間では大学の問題がさかんに議論されています。学生の学力低下、全入化傾向、教養教育の崩壊、若手研究者ポストの不安定化、グローバル化・・・深刻で、かつ、広く社会に影響する問題もあり、一刻も早くクリアーすべきであることはたしかに言えると思います。

ただ、そのような議論には「何かが欠けている」ように思えるのです。著者も指摘するところですが、大学という概念・システムを根底から問い直す動きが弱いのではないでしょうか。歴史的に、大学はどのようにして生まれ、いかにして変化・成長してきたか。そのような、大学の「人となり」を再確認する作業が、現在の議論に加えるべきものではないでしょうか。

本書は、大学の生成の変遷とその背後にある歴史を追いかけることで、現在叫ばれている問題の淵源がどこにあるのか、未来の大学や知のありかたはどのようなものかということを議論したものです。中世ヨーロッパに始まった大学とはどのような制度だったのか、近代に入り大学はどのようなものになったか、開国以後「輸入」されたのち日本では大学教育がどのように作り上げられ現在に至るのか、等々、大学を歴史的に問い直すものです。

巷の新書にも大学の諸問題を議論するものはありますが、やはり現在にのみ目がいってしまい、話を深めているとしても、その話題が大学概念ではなく他の領域であったり。それはそれで良いのでありますが・・・何か「腑に落ちない」ものがあったのです。同じ大学論としても、それら「告発本」とは一線を画すかたちで本書に読みごたえを感じています。
大学が気になるという方はもちろん、現在の大学生、かつて大学生であった人、これから大学生になろうとする人にも是非読んでいただきたいと思います。