2013年10月20日日曜日

ブログ書評第20回『現代語訳 福翁自伝』


みなさんは偉人と聞くとどんなイメージが持つでしょうか。とにかくすごい、えらい、自分とは全く違う人生を歩み、立派に大成なされた方などといった固定概念を持つかもしれません。今回紹介する福翁自伝はそういう固定概念とかエライからエライといったものを毛嫌いしていて、とても人間味あふれる人生を送った福沢諭吉という男の自伝です。

ご存知かと思いますが、福沢諭吉は近代日本の父とまで評される人ですが、この本はそんな福沢諭吉の歩んできた人生で出会ったすべらない話集という感じが強いです。自分が読んだ”ちくま新書”から出ていて齋藤孝さんが編訳している本の帯には“『学問のすすめ』よりおもしろい日本最強の自伝。”と書いてありますが、この二冊はおそらくおもしろいの言葉の意味が違います。学問のすすめのおもしろいはinterestingで福翁自伝はどっちかといえばfunnyの方のおもしろさです。


この本のおもしろさは我々が知っている偉人、福沢諭吉像の偉大さを実感させつつ、笑わせに来ているところにあると思います。たとえば、諭吉が当時所属していた研究機関(?)緒方塾は西洋の学問を学ぶ場所でした。しかし、当時は外国語の文献を読んで分からないワードがあってもそれを調べる辞書が一冊しかない。そのため、辞書を置く部屋を決めて、その辞書の名前をとってヅーフ部屋としていたそうです。会読(報告会のようなもの)が5日おきぐらいに開かれるので、その前日は夜を徹して、塾生は誰ひとりとして怠けること無く10人ぐらいが辞書の周りで郡をなして、無言で勉強していたということです。

素晴らしいですね。見習いたいですね。

しかし、その前の項目で書かれていることが、夏はとても暑い。塾生は全員男だ。そのため、夏は全員裸、ふんどしも何もつけない。という風に書いてあるのです。これでは、真夏の夜中に大勢の男たちが辞書を囲んで無言で勉強していた事になります。こんな環境には居たくないなぁとその場の空気感を想像しつつ、諭吉達が笑っちゃうような環境で学問を探求していたことが伺えます。

文章としては読者に自分の人生をおもいっきり楽しんでもらいたい、といった感じがする情熱的な文章です。諭吉自体が明治維新の頃、どんな頑迷な翁、嫗でも説得してみせる。と言った男でありまして実際、非常に弁がたつということもあり、読み手の心をつかむ力はすごいです。おそらく、福沢諭吉がひたすら立派な方であると思い込んでいる人にとっては目次をご覧になった時点で「小皿を盗む、投げつける」といった見出しに驚愕するでしょう。もちろん、日本の近代化が進むまで諭吉本人がどう西洋文化に触れたか、どう日本に持ってこようかと苦心するところなどは非常にためになるかとは思います。しかし、私のこの本を読んでの特筆事項は諭吉のギリギリのすべらない話であると思います。

みなさんもぜひ、近代日本の父のアブナイエピソードを見て、大いに笑ってください。

                               (ひろおか)

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