私は夏休みには戦争に関する本を一冊読むことにしています。
今年は古川隆久著『昭和天皇―「理性の君主」の孤独』を読みました。今回はこれを紹介します。
私が小学生のころまでは昭和でしたので、昭和天皇のお姿はおぼろげながら記憶にあります。私の昭和天皇に対するイメージは一言で言って『優しそうだけど少し寂しそうなおじいちゃん』なのですが、大人になるにつれて、昭和天皇に対する印象が人によって様々であることを私は知ることになります。それらは、私の素朴なイメージとは明らかにかけ離れたものでした。
確かに、学校で歴史を学ぶ中で、なぜこんなに優しそうな方が治めている国があのような戦争に突き進んでいったのか、それは昭和天皇自身が若い頃は私の知る昭和天皇とは違っていたからなのか、不思議に思っていた記憶があります。
戦争は多くの人々に計り知れない影響を与えるので、その当事者である昭和天皇に対して人々がどのような印象を持つのかというのは、その人がどの時代を生きたかということによって違ってくると思います。本によって昭和天皇の描かれ方が異なっているのもそれが一つの原因なのかもしれません。
この本は、そのような人によるイメージの違いをなるべく除いて、近年多く出てきた資料に基づいて昭和天皇の実像に迫ろうとした本で、2011年のサントリー学芸賞を受賞しています。
著者はこの本で、皇太子時代の若き昭和天皇がヨーロッパ訪問でイギリスの民主的な立憲君主制に感銘を受け、その日本での実現を理想としていたこと、また、戦争を避け、早期に終了させたいと考えており、また何度かそのチャンスがあったにもかかわらず、そのような民主的な立憲君主制への理想を持ちそれにこだわっていたがゆえに、戦争を止めきれなかった、長引かせてしまったことが描かれています。昭和天皇は戦争を止める力を持っていたかもしれませんが、それを自らの力で行うことは、彼が理想としていたリベラルな政治体制を自分で否定することになるというジレンマに直面していたことが、この本から読み取ることができます。
この本の主題は戦前から戦中の昭和天皇を描くことですが、戦後の昭和天皇についても描かれています。昭和天皇が目指したリベラルな政治体制は、戦後(昭和天皇が主導したかどうかはさておき)憲法に体現されることになるわけですが、その後の昭和天皇は、そのリベラルな政治体制が(不完全な形にせよ)実現されることと引き換えに失われた、もう取り戻せないものに対してどう行動していくか、一言で言えば「戦争責任」というものをどのように考え、行動していったのか、この本はなるべく主観を排して資料に基づいて書かれています。
私は、この後半の記述に心を奪われ、涙なしでは読むことができませんでした。人はどうしても生きていく中でもう取り戻せないものを作ってしまい、それについて責めを受け続けることが多かれ少なかれあると思います。昭和天皇は、誰よりも大きなそれを背負いながら逃げずに生きてきた人間であることが、この本の記述が冷静なものであるがゆえに鮮明に浮かび上がってきます。
自分の意思とは必ずしも言えないがやってしまったこと、自分のせいだけではなくても人のせいにできないことを背負って生きるとはどういうことなのか、どう生きるべきなのか、それと対峙し続けた結果が、私が昭和の終わりに見た「優しそうだけど少し寂しそうなおじいちゃん」であったということを、この本を通じて知ることができました。
私たちも生きていく中で少しずつ社会とのつながりにがんじがらめになっていき、自分の意志とは必ずしも一致しない行動を迫られ、その結果窮地に立たされることが少なからずあり得る世の中に生きていますが、その中でどう生きていくのか、この本はそれに対する一つの指針を与えてくれる本であると思います。
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